2007年8月12日日曜日

BS押井特集2 攻殻機動隊/「イノセンス」 2

 そして89年、ありえない事が起こった。士郎正宗が講談社の雑誌で「攻殻機動隊」なる作品を例え不定期とは言え、連載開始したのである。これはかなりエポックメイキングと言わざるを得ない事態であった。

 「未完のまま終わる。絶対に・・・こえー」

 というのが当時の士郎正宗を知るSFファンの偽らざる心情だったのではないだろうか。そして、雑誌掲載があった時点で、切り抜きを作る、なんて古めかしい事をしていた人も多かったのではないだろうか。

 しかし事態は急展開をみせる。連載を終了したばかりか、単行本化までしてしまったのである。そして、「GHOST IN THE SHELL 攻殻機動隊」として映画化、という事になるのだが、ミリタリ好きな人、SF好きな人、哲学好きな人、宗教にちょっと興味のある人等がコアファンにいて、そんな経緯もあり、士郎正宗ファンにはある意味怖い人が多いのである(自分は末席)。
 例えばダイビングは、元々軍隊のアンダーウォーター接敵訓練を民間用娯楽に置き換えたものだよねー、C4と言えばWW2で米国が開発した可塑性爆薬でしょーぐらいガキでもしってるぜー位のミリタリマニア的要素、サイボーグ、電脳、という言葉の説明も欄外を除いて親切な登場人物による説明はごく限られたSFマニア的要素、その中に出てくる、「GHOST」といったファンタジー的要素を、通常の物語として接して違和感の無い人向けの作品である。この作品は普通の人が読む漫画では決してなく一部のSF、軍事マニア向けのファンタジーがミックスされた限られた人向のパッケージであった。

 現在迄、攻殻機動隊ものは、たった3作で原作は揃う。「攻殻機動隊(1)」、「(1.5)※CD-ROM付」、「(2)」である。
 次作「(3)」がいつ出るのか、またどうゆう形で出るかはわかりませんが。また、攻殻の2巻を理解する為には、「仙術超攻殻オリオン」も一読しておく必要がある。まぁ「~攻殻~」って文字も入ってるし。また、士郎正宗自身の一言コメントと大画面カラーが嬉しい画集「Intron depot (1)」も参考文献でどうぞ。

 ここ迄振り返って、やっと、映画「イノセンス」を見る体制が整う訳です。士郎正宗の作品にしても、押井作品にしても、下準備の知識を仕入れてないとツラいので面倒臭いですが、仕方なし・・・

 で、ハァハァ、映画「イノセンス」は本家の漫画2に比べて随分ウェットだなぁ、というのが第一印象です。
 ただ本家も押井版もどちらも第二弾の方が好きですねぇ。どちらも、「情報の海で生まれた生命体」と融合した後の人物を核として描いている点に於いては一緒ですが、本家2の設定を借りると、この押井2の素子(だった人)は「比較的バトーさんに対して好意(母性?)で接していた素子の摸倣子を(「低知能の変種」であるかどうかは別として)多少強く受け継いだ別人の女性(スピカ、アンタレスとかと同列)」だと考えれば納得いきます。
 しかし「守護天使」は言い過ぎかなぁとも思ったりして。触れあい的な解釈も、単に「元・素子」が、何かのビジネスで、偶然バトーさんと出くわしただけかもしれないんで。ただそうすると、バトーさんが、誤解している変なオヂサンになってしまうので、物語的には成立たない気もするですね。

 本家1.5で軽くバトーを軽くいなしている素子や、本家2でほぼ完全に無視している素子や、OVA版の素子が、本家1の素子に近いのではとも思いますが、本家が恥ずかしがって絶対に書かない素子と人形使いの摸倣子を受け取った女性像を描いたという点においては、こうゆうのもアリかなぁ、と。ただ個人的には素子と一番近い霊格(Ghost)を持ち、更に高いポテンシャルを持って素子をリードでき、恋愛感情に変化出来そうなのって荒巻Bなんだよなー。彼が全身義体化して中年のシヴイおっさんになってたら面白いんだが。名前呼び捨てにしたりして。本家2でも一言、2人が全く同じセリフを別のシチュエーションで喋るシーンもあるし。

 しかしこうゆう感想が考えられたのは、多分このイノセンスという作品の出来が良いからに他なりません。なので、出来れば本家漫画1、映画1、漫画1.5、イノセンス、(仙術超)攻殻オリオン、漫画2という順で作品に接する事をおススメします。
 オリオンは、新巻Bと素子の未来(過去?)の関係を想像出来るのと、Ghostの上空に位置する正宗ワールドを補う上で外せません。

 新巻部長やバトーさんは、進化した人類の、より高度な精神交流が実現する社会の起点に対して、自分が中心となって動けなくちゃイヤ、という我侭より、現在の危機を捌く事の方に重点を置いている為、交わりようがないの?、という質問をどう解釈するかで、この2人の行く末に考えを巡らしてくれ、というのが映画1を作った押井さんのケジメだったようで、そこら辺は原作者より、女性か、若しくはスキだった女はきっとまたアクセスしてくれる筈だと思っている男にやさしい対応だったと言えなくもありません。そうゆう意味では、純粋に映画版第一作目の後日談的「2」としての役割を果たしていると言って良いと思います。

 これを余計なお世話と考えるのが原作マンセー、一般人に対しては恋愛モノに魅せるには説明不足で消化不良、といった印象を与えた事は仕方ないよね。SFって本来完全にオタクな領域ですんで。それを楽しみたけりゃそれなりの基礎知識は必要なのは当然なのにねぇ。
 まぁそれは、各人判断するしかないかな。本家2のドライに未来を模索し続ける主人公こそ、立ち止まらない進化の象徴のようで、より、リアルSFとして迫って来る事は確かですが。

 所で、原作「2」は見る人によって本当に内容理解が違うので面白い。自分の理解は簡単に言えば、

 低知能の変種だったミレニアム(ブタ脳アレイ設計・連結者)と、スピカ(ヒト脳アレイ設計・連結者)の戦いに、荒巻素子が、所属する企業の考査部の仕事で介入する。素子はミレニアムを制圧するが、スピカとアンタレスとの電脳合戦で自爆(フリーズ)してしまう。素子が持っていた珪素生命の設計図と素子の取り扱いについてスピカとアンタレスが揉めている内に、素子が復活(リロード)、スピカと素子で、その珪素生命の去就を決める所迄話しをつけて一応停戦したが・・・、といったストーリーである、・・・と思う。

 何故確証が持てないかというと、幾つかの謎が残る。ちなみに誰か教えて欲しいのだが、

1.スピカとアンタレスとミレニアムと荒巻素子は同一人物ではないか?(草薙素子の分裂症的性格が、「別の義体」を使って発露してるだけ?)

2.荒巻素子が「人形使い」と融合を果たした一人目の人物なのか?(スピカが言うように、草薙と融合する前に、「人形使い」と融合した人物が他に10(16進なら荒巻が3人目って事で2)人、既に居たってことか?素子が言うようにブラフ?)

3.例えば、荒巻とは違う人物(例えばスピカ)が草薙だとする場合、荒巻にある「ピアノ教室の講師だった記憶」というのは公安9課のものではない?

 とか、色々あります。そこいくと「イノセンス」はわかり易いので大親切でしたね。バトーさんの書き方も、そんな元・素子達を、「しょうがねーなぁ勝手ばかりしやがって」と言いつつ眺めている感じで、「縁」は切れてなさそうだし。ただより高次元のヒト的「Ghost」を持つ荒巻Bが、確実に不気味な存在なのが面白い。

 自分的には、はやく「GALGREASE」全編の入った画集をはよーまとめて出しておくれというのがもっかのお願いです。