2007年12月25日火曜日

そろそろ今年も終わりの秒読み開始ですね

 イスラエルとロシアを繋ぐ線が急速にクローズアップされたのは、佐藤優氏の「国家の罠」以来では無いだろうか。所で、CNNの日本語記事で、「イスラエルとロシアで入国ビザ撤廃」とのニュースが12月21日の夕方に流れた。これは、経済・政治の、ともすれば「人」による連携を、表に見えていた米国に加え、ロシアとの表立った友好関係を、内外に知らしめる内容だと思う。そして、時期を同じくして、読売新聞の記事で「イスラエル入植地に住宅計画」という記事も出た。
 その中で、「『将来、自国領となる地域での住宅建設は当然の権利』(タミール教育相)との立場」との引用もあり、これではちょっと煽り過ぎではないのヨン、と穿った見方を反省させられたりもするのだが、事前情報をリークしだしただけかもしれないので、案外、狙っているのは本当に「ソレ」なのかもしれない。国力とは、ドル換算したGNPでは無く、言い換えれば、働く人の力である。であれば当然、母体は大きければ大きい程良いに決まっている。但し、その国に住まわせられる土地があれば、の噺である。これはまたしても、脅しであるが、ずっと彼の国が実施してきた事なので、やらないとは言えない。外交手順と土地管理の部署がいがみ合っていなければ良いんですが・・・。

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 あとまたしても読売見てたら、「『フランダースの犬』日本人だけ共感…ベルギーで検証映画」という記事を見つける。
 文化人類学大好きな白人の分析病なのでほっとけばいいのだが、リアルで、アニメ見てた世代としては、「えっ!そうなの!?」とちょっとびっくり。ただ、「滅びの美学」って・・・。「菊と刀―日本文化の型」の影響って濃いーなー、と改めて感じ入るねぇ。

 その2作品を見た子供の頃の自分的には、アレは「滅びの美学」っていうか、単に可愛そうじゃん、っていう感覚でしょう。
 所で、欧米では、「蛍の墓」ってダメらしい。自分が無力で、その無力が元で死ぬ事に耐えられない、だから力と知識を付けなくちゃ、という、根本的な考え方だと、「フランダースの犬」の最後にしろ、「蛍の墓」の最後にしろ、ものっすごく欝になる事は確実なわけで、例えば、家にいる楽しい時間になんでわざわざ欝にならなアカンの?というこれもまた根本的な質問の回答にはほど遠い。

 ただ、そんな簡単な回答だけでは済まないのが人間社会だし、子供の頃、そうゆう主人公を見て、「可愛そう」、「何で死んじゃったの?わからない。誰か教えて(でも誰も教えてくれない)」ってトラウマが残るのは、あながち悪い事でもない気がする。
 まぁ、白人から見れば、そんなの見るより、知識と力を自分で身につける努力をしろ、それについていけなければ、「あぁゆうふうになるぞ」って考え方が主流なら仕方ないですね。

 しかし、大人になった今、その2作品を思い起こしてみると、悲しい話というよりは、「仕方の無い話」である、というのが大体の日本人の考え方だと思うけどなぁ。だから、「滅びの美学」では大抵の日本人はしっくりこない。それは欧米流の言い方で、日本的には、「無常観」って所ではないでしょうか。それら辺は、誤解され易くても、「仕方がない」ですネン。

 つーか誰かそろそろ、「平家物語」と「方丈記」をしっかり白人の文化人類学者に教えてあげりゃいいのに、とも思います。あれは歌にも通じる独特の「韻」があり、それを興じる事が、「美学」として捉えられがちなだけで、本当の意味は、その漢文体の奥の奥に、心で感じる「何か」を理解するものだと思うので。そして、それを「思う」事が大切な事なんだと、って所か・・・。「無常観」は「無常観」であって、「滅びの美学」ではないのである。

※今回の「蛍の墓」のamazonへのリンクは、あえて、"com"の方を貼ってあります。これは、作品購入を米国からしろというわけではなく、"com"の方のレビューを見て欲しいからです。なかなか面白い。ちなみにレビュー数は、2007/12/25現在で、571件。すごすぎる。これで面白い、と思ったら、UK等、他の国のレビューを読むのも一興です。