中学生向け科学セミナーで行っていたマウス解剖が、市民団体の圧力と事なかれ主義の官僚の決定で中止になったという記事が東京新聞に出てた。
つうか何コレ・・・。学校本体の授業でもないセミナーに迄口出すのはどうですか。やってみたい人対象なんだから良いのではないかと単純に思う。
短絡的に「やってみたい人」=「動植物の生命を軽んじる人」ってコトなのかなぁ。だとしたら相当ばかげているように思うんやけどなー。生命にメスを入れるコトに快感を覚えるヤツが出て来たりすると困るとか?まぁそれならわかる気もする。中学生と言えど30年前の中学生と比べて今の社会は情報提供量が段違いだからねぇ。
「セミナーに参加して迄解剖してみたい人」=「バカ親に育てられたサイコ厨」という図式も考えられなくはない、というかそんな事も視野に入れる余地があるってのも何だか悲しいね。
僕自身は、解剖って確かやってない筈なんだけど、ヤレって言われたら可愛そう云々は置いといて「気持ち悪いからヤダ」ってのが本音かな。でもカナダなんかの先住民族がトナカイ捌いてたり日本の歴史的な食肉産業の人達や、勿論外科医さんなんかについては賞賛の想いしかないですね。
でも彼らは生きる為にやっている、のであって学術的な事とはほぼ無関係だからなぁ。外科医さんにしたってそれで飯喰ってるわけだから生きる為って範疇だし。何も中学生がアカデミックで実践的な「解剖学」に触れなくてもいいような気もしてきた。とするとだな、扱うのが科学の範疇なら、中高校生には出過ぎた学問なんでないか、と。大学生レベルでいいのかしれない。大学生になれば各専門分野に分かれる訳で、5流短大の英文科に解剖学はイラネーよなー、ってなると、「解剖」でもし一つの生命が終わるのであれば、純粋なアカデミズムで生命を費やす事の意味は、中学生で知っておくべき基礎学問の1カリキュラムか、またそれが理解出来るかっちゅうと、なんとなく無理ではないかと思えるので必要ないかもしれん。
ただ、将来的な医学や科学の為に生命を費やす事の必要性についての理解は即す必要があるかどうかについては考えさせる必要があり、その歴史的背景と実利については知識として、そのサル頭に放り込んでおいてやる事は大切だろう。で、1年間に中学生が使うラットの数を製薬会社や大学の研究室に回した方が社会の為って事もあるのではないか、とも思えてきたので、僕的結論は、
「中学生に解剖学は理解できない。よってその市民団体の主張とは別に、ラット解剖の実践も中学生には必要がない。」
って事カナ。その代わり家庭科の授業で、生きてる牛や鶏や魚を捌いて料理する授業を提案する。でどうだ。そして有難く食し、美味しいお肉と生命の尊さの狭間で「味」を知るのだ。